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301・つれづれなるままに

そのうち来るかなあと思っていたら、年の暮れにとうとう依頼がやって来ました。
 何を書こうか考えていなかったので、つぶやきをば…。

 先だってNHKの大河ドラマ「光る君へ」が終わって、源氏物語の出だしは何だったかなあと考えてみたのですが、何も浮かんで来ません。

「春はあけぼの…」でもないし、「祇園精舎の鐘の声…」でもない、「女もすなるという…」でもないし、「今は昔…」でもないしと、「つれづれなるままに…心に浮かぶよしなしごとを…」考えていたら、「源氏物語」は古典で習っていなかったことを思い出しました。

 なぜなんだろうと、たまたま使った教科書に取り上げられていなかった…。う~ん、小生は理系コースではあったが、なぜか日本史と古典Ⅱまで選択していたのに習った記憶がない…。
そんなのは小生だけなのかなあと…。「書きつける」ことにしました。

 古典の物語は「竹取物語」「うつほ物語」「源氏物語」で、竹取物語は月の世界から逃げてきたかぐや姫の物語でSF小説の走りです。「うつほ物語」は「源氏物語」に似ている貴族社会を扱った物語だが、伝奇的要素があります。「源氏物語」は帝の子供の奔放なというか、現在の女流作家でもあそこまで書かないなあという恋に生きる男子の羨ましいやら呆れるやらの長編小説で、SFや伝奇のたぐいのない純文学的な作品ですね。

 エッセイといえば「枕草子」で、和歌も含めて、平安時代までに世界でも類を見ないすべての種類の文学作品が生まれていたのですね(俳句やどどいつは和歌から派生)。
古事記や日本書紀は更に遡るのですが、物語のようですが歴史書の範疇(といってもSF・伝奇的要素を含んでいますが…)ですね。

 さて、本題の何故古典から源氏物語が消えた(載っている教科書もあるのかもしれませんが…)のかを考えてみました。
 まず、①用語の使い方が古典なので難しい、②宮中を扱ったもので習慣やしきたり等を理解していないと、物語の流れが見えない、どうもこれかなというのが③現代の社会通念上好ましくない描写がある(どんな描写なのか、興味のある方は、ぜひ読んでみてください…)。ということで、とても青少年の教育上授業で解説できる内容ではなかった…。

 古典落語から差別用語がなくなったら⚪︎⚪︎が不自由な(ではなく実態としては不能なんですが…)では、どのような状態かはっきりしない、語りにリズム感が無くなり聞いていて面白くない。昆虫や植物の名前も差別用語は使えなことから〇〇カスミ〇〇とかで、「霞む」のか「掠める」のかはっきりしない。
 ましてや義務教育ではないものの(高校は事実上義務教育みたいなものですが…)描写が青少年の育成上問題(小生は問題ないと思うのですが…)だ、ということが教科書から源氏物語が消えた理由のようです。

まあ、現在の表現は「難しい用語や誤解を招く表現は使わないでわかりやすく、そのようなことば見せない、話させない」その結果、掘り下げて考えない、理解できないという知的水準の低下が…。
......というぶやきでした。

帯広営業所 N

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