北の大地を21世紀に活かす(株)日の丸産業社

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日露戦争の頃

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STORY

日露戦争の頃

明治37年(1904年)2月露戦争始まる。

戦争によって北海道と本州を結ぶ貨物輸送は混乱に陥ることになる。ウラジオストクに根拠を置くロシア艦隊が、海上輸送の破壊を狙って日本近海に出没跳梁したためである。

開業後数年を経て、日の丸商店の肥料販売は漸く軌道にのりつつあった。道内に同業者も生まれてきていた。しかし海上輸送の危険から、肥料の導入は壮絶の運命を免れ得ないところであった。

バルチック艦隊

根拠地に集結した日本艦隊

 菊次郎は敢えてこの壁に挑んだ。創業以来燃やし続けてきた北海道農業への情熱が、38歳の若い店主をこの無謀ともいえる危険な行動に駆り立てたのだろう。しかしそれでもなお、船が大阪の港を出た後の心痛は計り知れぬものがあったという。津軽海峡にさしかかろうかと思われる頃、再びロシア艦隊出現のニュースが流れた時、菊次郎は終日屋根の上に寝そべって天を仰いで嘆息の日々であったと伝えられる。船はしかし、幸い函館港に逃げ込んで難を逃れていた。

函館工場

 このあと、日の丸商店の業績は順次進展の途を辿った。明治40年(1907年)、函館に北海道人造肥料(株)が設立される。北海道内におけるはじめての過リン酸石灰製造工場であった。菊次郎はこの企画にも積極的に参加する。この会社は、現在の北海道日産化学(株)函館工場の基となった。菊次郎の弟、松本伸吉は早くに故郷をでて、兄を扶けていた(明治34~35年頃)。つぎの弟、福地三郎も明治41年(1907年)、菊次郎の甥、広岡久吉も大正3年4月(1914年)来道して戦列に加わった。

明治末期の頃の社員

 大正5年(1914年)の当時、日の丸商店の特約関係は、大日本人造肥料会社、硫曹肥料の各北海道代理店の他、小樽油製会社代理店、日本電気化学工業会社特約店、釧路港鈴木水産工場特約店、兵庫山川印大豆肥料特約店などであったという。(金子群平編 北海道銀行会社大商店辞書 1916)

北の大地を21世紀に活かす(株)日の丸産業社

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